十和田湖南祖坊ってどんな場所?神秘に満ちた伝説とパワースポットを探る十和田湖畔に佇む、歴史と神秘が交差する場所とは!?
💡 十和田湖南祖坊は、十和田湖畔に位置する歴史ある寺院です。
💡 南祖坊という僧侶と深く関わっており、伝説が語り継がれています。
💡 仏教的な見地からの整理が進み、興味深い事実やつながりが明らかになってきました。
それでは、十和田湖南祖坊について詳しく解説してまいります。
十和田湖南祖坊と青龍権現
十和田湖畔に位置する十和田湖南祖坊は、南祖坊という僧侶と深く関わるお寺です。
公開日:2024/10/18
✅ 十和田神社は、創建は大同2年(807年)、坂上田村麻呂によるものと伝えられていますが、実際は南祖坊という修験僧によって創建されたという伝説があります。
✅ 南祖坊は熊野権現で修行した際に、神から鉄の草鞋と錫杖を授かり、「百足の草鞋が破れたところに住むべし」とのお告げを受け、十和田湖のほとりに住むことになりました。
✅ しかし、湖には八頭の大蛇である八郎太郎が住んでおり、南祖坊は法華経の霊験によって九頭竜に変身して八郎太郎と戦い、勝利し、青龍権現として崇められるようになったとされています。
さらに読む ⇒ ゛三湖伝説゛ 南祖坊ゆかりの古社出典/画像元: https://japanmystery.com/aomori/towada.html南祖坊の伝説は、十和田湖の壮大さと神秘を感じさせる物語ですね。
十和田湖畔に位置する十和田湖南祖坊は、南祖坊という僧侶と深く関わるお寺です。南祖坊は当山で修行し、観音堂には南祖法師尊像がお祀りされています。近年、南祖法師尊像が「発見」されたことを機に、当山では仏教的な見地から整理を進め、興味深い事実やつながりが明らかになってきました。永福寺の伝えでは、5世の月躰法印の弟子である南祖坊が神護寺の清瀧権現を十和田湖畔の休屋に勧請したのが青龍権現だとされています。清瀧権現は弘法大師空海と深く関わる龍神であり、空海以後の真言宗の諸大徳にもまつわる重要な権現です。十和田湖南祖坊伝説では、南祖坊が入定して青龍権現になるというストーリーですが、永福寺の伝えでは南祖坊が清瀧権現を勧請したというのが大きな違いです。青森県内では十和田湖の神様を女性とする地域もありますが、南祖坊が勧請したとされる清瀧権現は゛女性の龍神゛という点で、諸説に通じる部分があります。清瀧権現は善如龍王とも呼ばれ、弘法大師空海の師である恵果阿闍梨が鎮守とした長安の青龍寺の名の由来となっています。青龍に「氵」がつくのは弘法大師空海が唐から日本に戻って以降のことです。弘法大師空海は天長年間に請雨法を行い、その際に善如龍王(清瀧権現)が現れたという伝承があり、その場所は神泉苑です。神泉苑は現在も十和田湖の聖地の呼び名として使われています。
わあ、すごい!南祖坊って、本当に九頭竜に変身したんですか?
十和田湖南祖坊と愛染明王
奈良国立博物館所蔵の「(指定名称)木造愛染明王坐像」は、鎌倉時代・建長8年(1256)に仏師快成によって制作された、忿怒の相を持つ六臂の愛染明王像です。
✅ 奈良国立博物館所蔵の「(指定名称)木造愛染明王坐像」は、鎌倉時代・建長8年(1256)に仏師快成によって制作された、忿怒の相を持つ六臂の愛染明王像です。
✅ 像の制作には、快尊・快弁が小仏師として参加し、台座は東大寺大仏殿の再建時に取り替えられた柱の余材を用いて造られています。
✅ 像の台座に干割れがあり、補強のために布を貼っていることから、焼け残りの柱材を転用した可能性が高く、材の聖性や霊性を重視したと考えられます。
さらに読む ⇒e国宝 - 国立文化財機構所蔵 国宝・重要文化財出典/画像元: https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100084&content_part_id=2&content_pict_id=0愛染明王像の台座に使われている柱材は、東大寺大仏殿の再建時に取り替えられた柱の余材だなんて、歴史を感じますね。
十和田湖には仏教、特に密教系の名称が多く見られます。当山の本尊である愛染明王は、清瀧権現との関係で修法において深く関わっており、当山は宝暦13年に愛染明王堂を再建したとされています。その後、文化7年に火災に遭い、盛岡永福寺から現在の本尊である愛染明王像が贈られ、翌年に本堂が再建されました。江戸時代文化期の南部藩の財政は低迷期であり、当山本堂の再建にあたっては富籤発行が許可され、資金の一部にあてられました。火災の翌年に本堂が建立され、しかも愛染明王像が贈られていることから、七崎の重要性と愛染明王を祀ることの重要性が読み取れます。愛染明王は最極深秘の仏であり、愛染明王が説かれるお経である金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経は高野山の金剛峯寺の寺名の基です。真言宗の読誦経典として最も重要な『般若理趣経』の教主は愛染明王とされます。当山において愛染明王堂が再建されたり、愛染明王像が贈られたりした少し前の永福寺住職がしたためた多くの次第の中に愛染明王関連の次第が見られます。その中には愛染明王を゛龍の本地゛とする修法の次第があり、両部大日如来不動明王如意輪観音准胝観音如意宝珠など多くの要素をからめて説明する必要があり、師資相承されてきた修法を紐解くことで、十和田山青龍権現をこれまで以上に躍動的で壮大なスケールで捉えることが出来るでしょう。
愛染明王って、龍の本地って言うんですか?ちょっと難しいですね。
十和田神社のパワースポット
十和田神社は、下北半島の恐山とともに修験道の霊場として信仰されてきた神社であり、荘厳な雰囲気を持つ。
✅ 十和田神社は、下北半島の恐山とともに修験道の霊場として信仰されてきた神社であり、荘厳な雰囲気を持つ。
✅ 明治維新の神仏分離により、現在は武運と健康をつかさどる日本武尊を祀っているが、もともとは水の神様である青龍大権現を祀っていた。
✅ 神社境内には、開運の小道があり、溶岩でできた祠が点在し、それぞれ異なる神様が祀られている。
さらに読む ⇒戸(のへ)のつく町から...出典/画像元: http://aoimorinobiboulog.jp/blog-entry-1877.html十和田神社は、パワースポットとしても有名なんですね。開運の小道など、魅力的な場所がたくさんあるようです。
十和田神社は青森県十和田湖畔に位置する、恐山と並ぶ東北最大のパワースポットとして知られる神社です。平安時代初期に創建され、水神信仰の象徴とされてきました。祭神は日本武尊で、健康、勝負事、迷い解消のご利益があるとされています。また、奥の院には恋愛・縁結びの神である青龍大権現が祀られています。十和田神社には、開運の小道、占場、参拝道の原生林など、多くのパワースポットが存在します。開運の小道は、日の神、天の岩戸、山の神、火の神、風の神が祀られており、歩くとご利益や健康運の上昇に効果があると言われています。占場は南祖坊入水の場と伝えられ、宮司が神前に供えた「おより紙」で吉凶を占う場所として信仰を集めています。参拝道の原生林は、古木に精霊が宿ると言われ、パワースポットとして人気です。
十和田神社って、恋愛成就のご利益もあるんですか?ぜひ、お参りしてみたいですね。
十和田神社の参拝と御朱印
十和田神社は、青森県十和田市にある神社で、青龍権現や熊野権現とも呼ばれています。
✅ 十和田神社は、青森県十和田市にある神社で、青龍権現や熊野権現とも呼ばれています。創建は807年(大同2年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の際、湖が荒れて渡れず、祠を建てたという説と、南祖坊に関わる伝説という2通りの説があります。
✅ 十和田神社は、明治初年以前は神仏習合の寺院「額田嶽熊野山十灣寺」を号し、十和田青龍権現を祀り、現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置していました。
✅ 十和田神社は、奥入瀬渓流の近くに位置し、周辺には蔦温泉や猿倉温泉、酸ヶ湯温泉などの温泉があります。アントニオ猪木さんの墓がある蔦温泉もあり、猪木さんは生前、全国各地の温泉を訪れており、十和田市にも何度か訪れていたそうです。
さらに読む ⇒みんなで作る神社お寺&御朱印ガイド | Omairi(おまいり)出典/画像元: https://omairi.club/spots/85075十和田神社には、アントニオ猪木さんの墓があるんですか?意外な繋がりですね。
十和田神社では、御朱印やお守りの販売も行っています。御朱印は「青龍」の1種類で、値段は500円です。御朱印帳も販売されています。十和田神社は、青森県十和田湖畔に鎮座する神社で、日本武尊を主祭神とし、東北地方の水神信仰の象徴である十和田山青龍大権現も祀られています。アクセスは休屋からの徒歩のみで、杉並木やコケむした空間を抜けると、流造の本殿と拝殿が現れます。十和田神社は、神聖な場所を求める人、悩みを抱えている人、人生に迷っている人におすすめです。御朱印や御朱印帳の販売、占場での占いが楽しめます。
御朱印、ぜひいただきたいと思います!十和田神社の御朱印は、どんなデザインなんですか?
十和田神社の歴史と参拝方法
十和田神社は、青森県十和田市にある神社で、坂上田村麻呂と南蔵坊の2つの創建伝説があり、中世以降は修験道の神社として知られてきました。
公開日:2024/06/20
✅ 十和田神社は、青森県十和田市にある神社で、坂上田村麻呂と南蔵坊の2つの創建伝説があり、中世以降は修験道の神社として知られてきました。
✅ 江戸時代には十和田信仰の中心地として竜神を祀り、「十和田山青龍大権現」と呼ばれ、熊野三社権現神の社殿も併設していました。
✅ 現在も拝殿の右側に熊野権現の祠が残っており、手水舎には龍の吐水口があり、花が浮かべられているなど、神聖な雰囲気と美しい景色が魅力です。
さらに読む ⇒史跡探訪出典/画像元: https://www.s-tanbou.com/2024/06/08/post-3627/十和田神社の歴史は古く、様々な伝説や信仰が積み重ねられてきたことが分かります。
十和田神社の起源は、坂上田村麻呂が建立した説と、修行僧南祖坊が十和田湖の大蛇と戦った伝説の二つがあります。境内には本殿、拝殿、境内社、南祖坊の鉄の草鞋を奉納した祠などがあります。十和田神社は、初詣や例祭など、通年参拝可能です。周辺には、十和田湖、奥入瀬渓流、十和田八幡平国立公園などの自然があります。十和田神社には、日本武尊の武運・健康、開運の小路の六つの神、熊野神社の良縁・子宝・安産・夫婦和合、神泉苑の龍神様など、様々なご利益があるとされています。参拝の際には、鳥居をくぐる際に一礼し、中央を避けて歩く、御神前に着いたら一礼してお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼をする、など、正しい参拝方法を守りましょう。また、国立公園内の自然環境保護に配慮する必要があります。
十和田神社の起源が2つあるって、興味深いですね。どちらが本当なのか、気になります。
十和田湖南祖坊は、歴史と神秘に満ちた場所であることが分かりました。
💡 十和田湖南祖坊は、南祖坊という僧侶と深く関わる寺院です。
💡 愛染明王像などの仏像や信仰が深く結びついています。
💡 十和田神社は、パワースポットとしても人気で、多くの観光客が訪れています。