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彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動とは? 知られざる版画の力と社会との繋がりを探る(?)戦後日本の社会を映す版画運動の軌跡

戦後、中国木刻版画の影響を受け、日本の民衆版画運動は花開いた。本展は、社会変革を願う人々の情熱と、教育現場での新たな試みを、約400点の作品と資料で紐解く。市民の日常、平和への願いを刻んだ版画は、子どもたちの表現力を育み、教師と生徒の絆を深めた。冷戦下の歴史的背景から見過ごされてきた民衆版画の力強さを再発見し、鑑賞者それぞれの視点から、新たな解釈を生み出す。

彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動とは? 知られざる版画の力と社会との繋がりを探る(?)戦後日本の社会を映す版画運動の軌跡

📘 この記事で分かる事!

💡 中国木刻の影響を受けた戦後版画運動と、教育現場で版画を広めた教育版画運動について解説します。

💡 戦争体験や社会問題をテーマにした版画作品が、人々の心にどのように響いたのかを探ります。

💡 版画を通して社会運動や教育に貢献した人々の活動、その意義を明らかにします。

それでは、2つの民衆版画運動が生まれた背景から、その具体的な活動内容、そして現代への影響について、詳しく見ていきましょう。

まずは、Chapter-1です。

中国木刻版画の影響と日本の民衆版画運動の勃興

戦後日本の版画運動にどんな影響を与えた?

中国木刻版画の影響

戦後日本の版画運動は、中国木刻版画の影響を受け、社会運動や教育現場で大きな役割を果たしました。

特に、滝平二郎の絵本「裸の王様」は、戦争体験を反映した作品として注目されました。

つの民衆版画運動と戦争の傷跡、平和運動──「彫刻刀が刻む戦後日本展」出品作から:キュレーターズノート
つの民衆版画運動と戦争の傷跡、平和運動──「彫刻刀が刻む戦後日本展」出品作から:キュレーターズノート

✅ 戦後日本で展開した2つの民衆版画運動、「戦後版画運動」と「教育版画運動」を紹介。本展では、戦後版画運動が中国木刻の影響を受けたことや、戦後版画運動に関わった人々が戦争体験をどのように作品に反映させたのかを考察する。

✅ 中国木刻は1947年に日本で紹介され、戦争の傷跡や苦しい生活に悩む人々に強いインパクトを与えた。戦後版画運動の中心人物である滝平二郎は、戦争体験を反映させた初の絵本「裸の王様」を制作した。

✅ 戦後版画運動は社会運動を版画で伝え、アマチュアにも版画を広める運動であった。教育版画運動は戦後版画運動から派生し、全国の小中学校の教員が学校教育のなかへ版画を広めた運動であった。

さらに読む ⇒–美術館・アート情報出典/画像元: https://artscape.jp/report/curator/10175326_1634.html

中国木刻版画の影響は、日本の民衆版画運動に大きな影響を与えました。

社会の矛盾を表現し、人々の共感を呼んだのです。

滝平二郎の作品も、その影響を受けていますね。

戦後日本は、戦争の傷跡と苦しい生活に喘いでいました。

そんな中、1947年に中国から木刻版画が紹介され、人々の心に大きな衝撃を与えます。

中国木刻版画は、政治や社会問題を反映し、民衆の覚醒を促す役割を果たしていました。

戦後の日本では、中国木刻版画は、日本の民衆の現実社会の矛盾を代弁するものとして受け入れられ、共感を得ました

この影響を受けて、日本の民衆版画運動は大きく発展していくのです。

なるほど、中国木刻版画が人々の心に響いたというのは、どこか魂に直接訴えかけるものがあったのかもしれませんね。戦争の傷跡を表現した作品というのは、何か特別な力を感じます。

戦後版画運動と教育版画運動の誕生

戦後版画運動は社会運動とどう結びついていた?

社会運動を伝えた

戦後版画運動と教育版画運動は、それぞれ異なる目的と活動を行いました。

日本版画運動協会と日本教育版画協会の活動を通して、当時の社会状況を読み解きます。

町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本─つの民衆版画運動」戦後版画運動・教育版画運動を紹介
町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本─つの民衆版画運動」戦後版画運動・教育版画運動を紹介

✅ 戦後日本の版画運動は、社会運動を伝える「戦後版画運動」と、学校教育に版画を広めた「教育版画運動」の二つに大きく分けられる。

✅ 戦後版画運動は、日本版画運動協会が中心となり、労働運動や平和運動を題材にした作品を制作した。教育版画運動は、日本教育版画協会が中心となり、学校教育において版画制作を普及させた。

✅ 本展では、約400点の作品と資料を通して、戦後版画運動と教育版画運動の歴史と影響をたどり、当時の社会状況や教育現場の様子を浮き彫りにする。

さらに読む ⇒ファッションブランド・デザイナー情報出典/画像元: https://www.fashion-press.net/news/85007

戦後版画運動と教育版画運動、それぞれが社会に与えた影響は大きかったと考えられます。

特に教育版画運動の中心人物である大田耕士の活動は興味深いですね。

戦後版画運動は、社会運動を版画で伝え、アマチュアに版画を広めた運動です。

一方、教育版画運動は、戦後版画運動から派生し、全国の小中学校の教員が学校教育のなかへ版画を広めた運動です。

教育版画運動の中心には、1951年に設立された「日本教育版画協会」があり、大田耕士が中心となって活動していました。

この運動は、「生活綴り方」という作文教育と密接に関係していました

生活綴り方は、生活を見つめて文章で表現することで社会や現実を認識する力を鍛えることを目指す教育実践であり、戦後教育に対する関心を高めました。

大田耕士は、生活綴り方教育を通して、版画制作が「人づくり」に繋がる可能性を感じ、学校教育の中に版画を広める活動を始めたのです。

教育版画運動が、単なる技術指導に留まらず、子供たちの「人づくり」に繋がっていたというのは、少し意外でした。科学的な視点から見ると、その効果を客観的に評価するデータはあるのでしょうか?

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学校と民衆をつなぐ版画。子どもたちの表現を育み、社会へのメッセージを刻んだ作品たち。平和への願い、暮らしへのまなざしを感じてください。