クインジと美術:美術館の国籍分類変更は?作品の魅力と功績に迫る!メトロポリタン美術館の所蔵品分類変更とクインジの芸術
ウクライナ出身の画家、アルヒープ・クインジ。その生涯と作品を紐解く。メトロポリタン美術館による国籍変更の背景にある、歴史的・政治的な動きとは?光の魔術師と呼ばれたクインジの代表作「ドニエプルの月夜」を始め、その画業と、彼の故郷ウクライナを取り巻く現代の状況を解説します。
💡 アルヒープ・クインジは、ウクライナ出身の風景画家で、光の表現を追求した。
💡 メトロポリタン美術館がクインジの国籍分類を変更し、議論を呼んでいる。
💡 クインジの作品は、美術館での展示や、その影響について考察する。
本日は、ウクライナ出身の画家、アルヒープ・クインジとその作品を巡る話題について、深掘りしていきます。
アルヒープ・クインジの生涯
クインジが最も情熱を注いだのは?
自然界の輝き
クインジの生涯と作品について深く知ることで、彼の芸術に対する理解を深めていきましょう。
公開日:2021/06/08

✅ アルヒープ・クインジはウクライナ出身の風景画家で、特に空、雲、星、太陽といった自然を描いた作品で知られる。
✅ クインジの絵画は写真のように写実的で、その精緻な描写は多くの人の心を捉える一方で、風景画でありながら人物を全く描かないという特徴を持つ。
✅ クインジの作品は自然の壮大さを描きながらも、人間の存在を感じさせないことから、その独特な世界観は、一部の人々にしか理解されないという一面もあるかもしれない。
さらに読む ⇒愛に恋出典/画像元: https://pione1.hatenablog.com/entry/2021/06/09/080000クインジの作品は、自然の光を見事に捉え、まるで写真のような描写力に圧倒されますね。
彼の作品からは、自然の壮大さだけでなく、どこか神秘的な雰囲気も感じられます。
アルヒープ・イワノビッチ・クインジは、1842年にウクライナのマリウポリで生まれました。
幼い頃に両親を亡くし、様々な職を転々とした後、タガンログで写真家の助手として働きました。
その後、サンクトペテルブルクに移り、独学で絵画を学び、イワン・アイヴァゾフスキーに師事しました。
1870年には「移動派」の組合員となり、1872年にはアカデミーを退学してフリーの画家として活躍しました。
初期の作品は、海を題材にしたものでしたが、次第に自然界をモチーフとした風景画を描くようになりました。
1873年には雪を発表し、翌年にはロンドン国際美術展で銅メダルを受賞しました。
クインジは自然界の輝きを作品に表現することに情熱を注ぎ、パノラマ的な全景や錯覚の光を巧みに描いた。
代表作に「ウクライナの夜」「白樺林」「雷雨の後」「ドニエプルの月夜」などがあります。
1892年にはペテルブルク美術アカデミーの教授に就任し、風景画のワークショップの講師も務めました。
1909年にはA.I.クインジ美術協会を発足させました。
1910年に肺炎で死去し、サンクトペテルブルクのスモールンスキー墓地に埋葬されました。
うーん、まるで光が息づいているみたい!彼の作品を通して、自然のエネルギーを感じてみたいですね。特に空の色合いとか、すごく惹かれます!
美術館における国籍分類の変更
メトロポリタン美術館は、どの画家の出身地を「ウクライナ人」に修正した?
クインジ、アイヴァゾフスキー、レーピン
今回の美術館の対応を通して、美術作品における国籍の問題について考えてみましょう。

✅ この記事は、ロシア帝国出身の画家アルヒープ・イヴァノヴィチ・ クインジとイヴァン・コンスタンチノヴィチ・ アイヴァゾフスキーの作品について、筆者のロシア旅行での体験を通して語っています。
✅ 特にクインジの「ドニエプルの月夜」や「虹」、アイヴァゾフスキーの「第九の波濤」といった代表作が、筆者の旅行中に別の場所に移動していたり、日本の富士美術館に展示されていたりしたことが紹介されています。
✅ また、ロシアの風景画に見られる独特の光や雲の表現について、筆者は「心象風景を絵にする」という当時の流行と、ロシア独特の自然環境が影響しているのではないかと考察しています。
さらに読む ⇒出典/画像元: http://absolute-delusio.sakura.ne.jp/akasaka_blog/2019/12/01/russia_2018_09/美術館の対応は、文化的な背景を考慮した上で作品を評価しようという姿勢の表れですね。
しかし、歴史的経緯や解釈には様々な意見があるため、議論が生まれるのも理解できます。
ニューヨークのメトロポリタン美術館は、コレクションの所蔵品に関する研究に基づき、これまで「ロシア人」と分類されていたイヴァン・アイヴァゾフスキー、アルヒープ・クインジ、イリヤ・レーピンの3人の画家の分類を「ウクライナ人」に修正しました。
特にクインジに関しては、ウクライナ出身の芸術史学者、オクサナ・セメニクが運営するツイッターアカウント「UkrainianArtHistory」で、クインジがウクライナ人であるべきだと主張したことがきっかけとなっています。
セメニクは、クインジの作品がウクライナの風景や人々を描いている点を強調し、クインジをロシア人と表記していたメトロポリタン美術館に対し、変更を求めていました。
メトロポリタン美術館は、クインジの所属をウクライナ人に変更しただけでなく、彼の作品「赤い夕日」に添えられた解説文に、ロシア軍によるウクライナのマリウポリにあるクインジ美術館の破壊に触れる記述を追加しました。
レーピンはウクライナのチュグエフ生まれ、アイヴァゾフスキーはクリミア半島のフェオドシヤ生まれであり、いずれも現在のウクライナに位置する地域出身であることから、メトロポリタン美術館は彼らをウクライナ人として再分類しました。
ロシアによるウクライナ侵攻後、多くの美術館がロシアおよびウクライナの文化を背景に持つ芸術作品の分類を見直しており、メトロポリタン美術館の今回の変更はその一例です。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーも、エドガー・ドガの絵画のタイトルを「ロシアの踊り子」から「ウクライナの踊り子」に変更しています。
これらの動きは、ロシアとウクライナの複雑な歴史と、芸術における国籍の解釈についての議論を再燃させています。
作品の分類変更は、政治的な意図が働いている可能性も考慮すべきです。客観的な資料に基づいた判断が重要であり、感情論に流されないように注意が必要です。
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光と色彩の魔術師、クインジ。名作「ドニエプルの月夜」で魅せた革新的な表現!しかし、その出自を巡り、美術館の記述が揺れる。真実を追う、論争の記録。