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横尾忠則の世界観とは?幼少期の記憶から画家転身、表現の拡大まで(?)横尾忠則の多岐にわたる表現活動:グラフィックデザインから画家へ

2歳で体験した洪水から、88歳で今も創作を続ける横尾忠則。幼少期の記憶、デザインへの興味、画家転身、そして自己表現への飽くなき探求。ポップアート、シュルレアリスムを融合した唯一無二のスタイルは、死生観、戦争体験、幼少期の風景などを通して視覚的な衝撃と深いメッセージを放つ。代表作や美術館情報も網羅。思考停止を促す「考えるな、感じろ」は、私たちへの強烈なメッセージ。

横尾忠則の世界観とは?幼少期の記憶から画家転身、表現の拡大まで(?)横尾忠則の多岐にわたる表現活動:グラフィックデザインから画家へ

📘 この記事で分かる事!

💡 横尾忠則の幼少期の体験が、その後の作品にどのように影響を与えたのかを解説します。

💡 グラフィックデザイナーから画家への転身、その決意と背景にあるものに迫ります。

💡 横尾忠則の現在の制作活動、作品に込められたメッセージや影響力について考察します。

今回の記事では、横尾忠則氏の多岐にわたる活動について、幼少期の記憶や作品、そして現在の活動までを追っていきます。

幼少期の記憶と表現への目覚め

横尾忠則の幼少期の強烈体験と、その後の表現に与えた影響は?

洪水体験が両親への愛情を、模写が表現の基礎に。

横尾忠則氏の幼少期の記憶は、彼の芸術活動の源泉となっています。

洪水体験や絵本の模写など、子供時代の様々な経験が、後の作品にどのように影響を与えたのでしょうか。

横尾少年
横尾少年

✅ 本書は、グラフィックデザイナー横尾忠則の自伝的書籍で、少年時代の回想を通じて彼のバックボーンや美術論をテキストと図版で紹介しています。

✅ 幼少期の体験や影響(例えば、宮本武蔵の童話の模写)が作品にどのように影響を与えたのか、カラー図版と共に解説しており、彼の創造力の源泉を探求しています。

✅ 横尾忠則の純粋性や子供のような感性への言及があり、アンリ・ルソーへの言及やUFOを見た経験など、興味深いエピソードを通じて、彼の独特な世界観が形成された過程を明らかにしています。

さらに読む ⇒ 横尾 忠則 / Tadanori Yokoo出典/画像元: https://made-in-wonder.com/item_detail.php?item_id=2507

横尾氏の幼少期の記憶は、まるで鮮やかな絵画のようですね。

模写に熱中したり、将来を模索していた姿から、すでに彼の表現への探求心が芽生えていたことが伺えます。

1936年生まれの横尾忠則は、幼少期に強烈な体験をしています。

2歳で経験した洪水で、父親が自転車を引いて仮設の橋を渡る様子を母親におんぶされて見守った記憶は、両親への愛情と安心感を象徴しています。

幼い頃は落書きをせず、子供向けの絵本の模写に熱中し、模写することが絵を描くことだと信じていました。

特に『講談社の絵本』シリーズの人物伝を好んで模写し、それが一人で遊ぶ方法だったと振り返っています。

中学校で美術教育が始まり写生を学びますが、現実の風景を描くことには興味を持てませんでした。

将来は郵便局員を志望していましたが、デザインへの興味も少しずつ芽生えていました。

子供時代の出来事が、その後の人生にこんなにも影響を与えるなんて、本当に興味深いですね。私も自分の子供時代を振り返って、何かヒントが得られるかもしれません。

グラフィックデザイナーから画家への転身

横尾忠則を画家へと駆り立てた、運命の出来事とは?

ピカソの個展での衝撃と自己表現への渇望。

横尾忠則氏がグラフィックデザイナーから画家へと転身した背景には、運命的な出会いがありました。

ピカソ展での衝撃、そして自身の内なる声に従う決意。

その過程を紐解きます。

MoMA「ピカソ展」で強い啓示を受け、グラフィックから絵画に 横尾忠則 – ニッポン放送 NEWS ONLINE
MoMA「ピカソ展」で強い啓示を受け、グラフィックから絵画に 横尾忠則 – ニッポン放送 NEWS ONLINE

✅ 美術家の横尾忠則氏が、ニッポン放送「あさナビ」で、1980年のニューヨーク近代美術館でのピカソ展での衝撃を受け画家宣言した経緯を語った。

✅ グラフィックデザイナーとして成功を収めていた最中に、突然「美術をやりなさい」という啓示を受け、自身の意思ではなく運命に従うことを決意したという。

✅ 画家転身後、初めて描いた絵が公立美術館に買い上げられたことで挫折することなく活動を続け、グラフィックと美術の違い、そして運命に従うことについて語った。

さらに読む ⇒ニッポン放送 NEWS ONLINE出典/画像元: https://news.1242.com/article/466035

グラフィックデザイナーとしての成功を捨て、画家への道を選んだ横尾氏の決断は、衝撃的でありながらも、とても人間らしいですね。

運命に従うという言葉が心に残ります。

地方に住んでいた横尾は、絵でプロになるのは難しいと感じていましたが、企業のマークや新聞のカットなどの懸賞に応募するなどデザインへの興味を深めていきました。

高校卒業後、グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1960年代には広告や雑誌デザインで頭角を現し、ロックバンドのポスター制作で名声を得ました。

1960年代後半からは海外でも活躍し、ニューヨーク近代美術館に作品が買い上げられるなど、国際的な評価を確立します。

しかし、1980年にピカソの個展に衝撃を受け、自分の本能に従い芸術を表現する生き方への共感と、自己表現への渇望から画家になることを決意しました。

運命という言葉で片付けてしまうのは、少し安易な気がしますね。科学的な根拠や客観的な情報も交えて、もう少し詳しく説明してほしいです。

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画家・横尾忠則。自己表現を追求し、滝や記憶をモチーフに独自の世界観を構築。多岐にわたる表現、加齢による変化、そして「感じる」ことの大切さを作品で訴えかける。