李禹煥展:人ともの、空間との対話を探求する回顧展?国立新美術館で李禹煥の大規模回顧展開催
もの派の中心人物、李禹煥の大規模回顧展が国立新美術館で開催!初期作品から新作まで、自然と人工物の対話、空間との緊張感、そして「余白」の力。鑑賞者を揺さぶる作品群は、日本の美術史、歴史認識、そして現代社会への問いかけ。李禹煥の創造の軌跡をたどり、新たな視点を発見する、必見の展覧会です。
💡 国立新美術館で開催中の大規模回顧展では、李禹煥の初期作品から最新作までを網羅。その創造の軌跡を辿ります。
💡 初期の「もの派」の中心人物としての活動から、自然と対話するような近年の作品まで、李禹煥の思想と表現を解説。
💡 作品を通して、人ともの、ものともの、そして空間との関係性を探求。鑑賞者に新たな視点を提供します。
それでは、李禹煥の作品が持つ魅力と、現代社会への問いかけについて、詳しく見ていきましょう。
李禹煥の歩みと初期作品
李禹煥は、どんな作品で知られていますか?
「風景Ⅲ」や「関係項」シリーズ
本展では、李禹煥の初期作品から最新作までを幅広く紹介し、彼の芸術と思想の根源に迫ります。

✅ 李禹煥の「もの派」以前の初期作品から最新作までを網羅した大規模回顧展「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」が開催されている。
✅ 本展は、彫刻と絵画の2セクションに分かれており、李禹煥の作品を通して、人ともの、ものとものとの相互関係について、深く考察できる内容となっている。
✅ 特に注目すべきは、新作の《関係項—アーチ》と《関係項—エスカルゴ》。《関係項—アーチ》は、李禹煥が30年以上前に冬の松本で見た虹から着想を得た作品で、ステンレス製のアーチと石、そしてステンレス板が組み合わさり、鑑賞者は周囲の風景が絶えず更新されるという体験をすることができる。一方、《関係項—エスカルゴ》は、ル・コルビュジエ作のラ・トゥーレット修道院内で展示された作品で、鑑賞者が歩くたびに石片がぶつかり合う音が作品の一部となり、空間全体が生き物の息吹のように感じられる作品となっている。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/lee_ufan_national_art_center_tokyo-report-2022-08初期作品から最新作まで、李禹煥の芸術の変遷を辿ることで、彼の思想の深さを改めて感じました。
李禹煥は1936年に日本の植民地期の朝鮮に生まれ、1956年にソウル大学校美術大学を中退し、叔父のすすめで渡日しました。
1965年頃から現代美術に身を投じ、1968年には関根伸夫との出会いをきっかけに、〈もの派〉の中心人物として作品だけでなく理論的な軸を形成していきます。
初期作品には、壁の3面を使って展示された3点組の「風景Ⅲ」があり、鮮烈な蛍光色のスプレーペイントで描かれた絵画は、それぞれシンプルな「もの」となり、お互いの「もの」同士の関係を問うべく空間全体を使って設置されていました。
また、石と人工物の組み合わせが特徴的な「関係項」シリーズでは、石という自然物とガラス板や鉄板などのシンプルな人工物を組み合わせることで、物と物、さらには物と空間との間に緊張関係を生み出します。
石と鉄の組み合わせ、すごく興味深いです!自然と人工物がお互いを引き立て合う感じ、素敵ですね。
李禹煥と日本の美術史
李禹煥の芸術は、日本の美術史の中でどのように位置づけられるべきか?
歴史的文脈抜きでは理解不能
李禹煥の作品に対する様々な視点や解釈について考察していきます。
公開日:2022/08/30

✅ この記事は、国立新美術館で開催された「李禹煥」回顧展を、日本の植民地支配からの独立記念日という歴史的文脈の中で捉え、複雑な気持ちで鑑賞した筆者の視点から考察したものである。
✅ 李禹煥の国際的な評価と日本国内での受容のギャップ、特に「もの派」という枠組みを超えた彼の作品と活動における歴史的文脈(植民地支配、戦後社会における「在日コリアン」の存在など)を、日本美術史における受容のあり方の問題として提起している。
✅ 筆者は、李禹煥の活動や作品を理解するためには、単に作品そのものを見るだけでなく、作品を取り巻く評論、李自身の経歴、美術制度における扱われ方など、多角的な視点から考察する必要があることを強調している。
さらに読む ⇒ファッションスナップ出典/画像元: https://www.fashionsnap.com/article/sosuzuki-journal4/作品を取り巻く様々な要素を考慮することで、李禹煥の芸術をより深く理解できると感じました。
李禹煥は、アメリカ、イギリス、フランスといった現代アートにおいて主要な国となる場所での展示を通して高い評価を得ていますが、日本ではかつての〈もの派〉の代表的アーティストとして語られ、その作品からは、極端にシンプルな見た目からくる寡黙な神秘さが漂っています。
今回の回顧展では、その神秘性を強調するためか、素朴に坦々と作品を見せる構成になっており、作品のみを見るだけでは不十分で、作品の外部、周辺、評論、李自身、美術制度の中での扱われ方なども含めて、まとめて推し量るようにして見る必要があると感じました。
李の作品は、〈もの派〉という枠組みの中だけで見ることの限界を感じさせます。
制作活動を通して、日本の帝国主義とそれに伴った植民地支配の歴史、戦後の米ソ冷戦下における国際関係、戦後日本社会における「在日コリアン」の存在など、歴史的な文脈と切り離すことはできません。
日本の美術史は、これらの事柄を比較的避けてきたように思われ、李の作品をどのように受容してきたかという問題は、日本社会全体の問題と言えるでしょう。
「もの派」という枠組みだけで捉えきれない、李禹煥の作品の複雑さを感じました。歴史的背景も考慮する必要があるんですね。
次のページを読む ⇒
李禹煥、東京初の回顧展!初期から新作まで、余白を活かした空間芸術。自然と人工の融合が、鑑賞者の視点を揺さぶる。国立新美術館で、創造の軌跡を目撃せよ!