倉俣史朗のデザインは今?回顧展とデザインアーカイブから見る、その魅力とは?回顧展で蘇る、倉俣史朗のデザイン世界
アートとデザインの境界を揺さぶる、倉俣史朗。代表作「硝子の椅子」をはじめ、革新的な素材と独創的な発想で世界を魅了したデザイナーの回顧展。初期から晩年まで、家具、スケッチ、夢日記を通して、その創造の源泉に迫る。言葉で語れない想いを形にした、唯一無二のデザイン哲学を体感せよ。25年ぶりの貴重な展示、見逃せない。
💡 倉俣史朗のデザイン展が開催。初期から晩年までの作品やスケッチ、夢日記を展示し、デザイン哲学を紐解く。
💡 代表作「硝子の椅子」に見る素材への探求心、独創的なアイデアと技術革新が融合したデザイン。
💡 デザインアーカイブの現状と課題、未来への継承。作品を未来に残すための活動を紹介。
本日は、倉俣史朗のデザインの世界観を紐解く展覧会と、彼のデザインに対する情熱、そしてその遺産の未来を探求していきます。
まずは、展覧会の概要から見ていきましょう。
倉俣史朗:デザイナーとしての歩みと独創性
倉俣史朗の独創的な家具デザインの源泉は?
自主制作とアーティストとの交流
本展では、倉俣史朗のデザインの全貌を、初期から晩年までの作品を通じて紹介しています。
彼のデザインへの情熱と、もし彼が生きていたらどんな作品を生み出したのだろうかという、想像を掻き立てられます。
公開日:2023/11/19

✅ 伝説のデザイナー、倉俣史朗の展覧会「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」が世田谷美術館にて開催されている。
✅ 透明なアクリルやガラスを用いた家具、光る椅子やテーブルなど、斬新なデザインと素材使いが特徴的な作品が展示されている。
✅ 倉俣史朗の残したスケッチや夢日記も展示されており、彼のデザインへの情熱と、もしも彼が生きていればどのような作品を生み出したのかを想像させる。
さらに読む ⇒美術展ナビ出典/画像元: https://artexhibition.jp/topics/news/20231118-AEJ1704892/倉俣史朗の革新的なデザインと素材へのこだわりは、今もなお色褪せることなく、私たちを魅了します。
特に「硝子の椅子」は、その技術的な挑戦も素晴らしいですね。
倉俣史朗は、1934年東京生まれのデザイナーで、1965年に独立後、インテリアデザインや家具デザインを手掛けました。
代表作には、アクリル製の椅子「ミス・ブランチ」、ガラス製の椅子「硝子の椅子」、金属製の椅子「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などがあります。
晩年は、世田谷区で過ごしていました。
本展では、倉俣のキャリアの初期から晩年までを4つの時代に分け、各時代のテーマごとに作品を展示しています。
また、スケッチや言葉、夢日記、愛蔵していた書籍やレコードなども展示され、倉俣自身と作品の関係を探ります。
倉俣は、アートとデザインの境界にあるような独創的な家具を制作しました。
これらの家具は、販売されることを前提とせず、自主的に制作されたものでした。
その背景には、独立した頃、デザインした家具が製品化されなかった経験があります。
独自のアイデアを実現するため、倉俣は自ら費用を出して試作を重ねたのです。
また、倉俣は現代アーティストとの協働も行っており、その様子が展覧会のスライドショーで紹介されています。
こうした美術家たちとの交流も、倉俣のデザインに影響を与えていると考えられます。
倉俣の家具は、シンプルながらも力強いデザインが多く、素材の特徴を生かしたものが特徴です。
例えば、「オバQ」の愛称で親しまれるランプシェードは、乳白色のアクリル板で制作され、柔らかな光を放つ作品です。
本展では、ガラスや金属などの素材を活かした独創的な家具が数多く展示されています。
なかでも注目すべきは、ガラスだけで制作された「硝子の椅子」です。
この作品は、ガラス同士を接着できる接着剤の存在を知ったことから生まれたもので、ガラスそのものの素材を活かした、最小限の構造でつくられています。
倉俣さんのデザインは、まるで宇宙みたいですね。シンプルなのに、すごく奥深い何かを感じます。デザインって、魂を込めることができるんですね。
倉俣史朗:デザイン事務所設立と初期の活躍
倉俣史朗が自身の事務所を設立したのは何歳?
31歳
倉俣史朗のデザインは、彼の独創性と革新性によって、デザイン界に大きな影響を与えました。
初期の活躍から、代表作「硝子の椅子」誕生までの軌跡を詳しく見ていきましょう。

✅ 倉俣史朗は、エキセントリックなデザインで知られる日本のインテリアデザイナーであり、空間デザインと家具デザインの分野で世界的に活躍しました。
✅ 彼はイタリアの建築家ジオ・ポンティの影響を受け、ドムス誌への掲載を目標に活動を始めました。その後、ドムス誌に作品が掲載され、日本万博博覧会などでもユニークな収納家具を発表しました。
✅ 倉俣史朗の代表作の一つに、ガラス製の椅子「Glass chair」があります。これは、当時の接着技術では困難だったガラス同士の接着を、UV硬化型接着剤を用いることで実現したものです。
さらに読む ⇒インテリアのナンたるか出典/画像元: https://interior-no-nantalca.com/representative-work-of-shiro-kuramatas-chair-and-lighting/ガラスの椅子は、今見ても本当に美しいですね。
当時の技術で、それを実現したという事実に驚きます。
デザインと技術の融合という点で、非常に興味深いです。
倉俣史朗は22歳で桑沢デザイン研究所を卒業後、株式会社三愛や株式会社松屋インテリアデザイン室を経て、31歳で自身の事務所「クラマタデザイン事務所」を設立しました。
1967年頃からグラフィックデザイナーの横尾忠則とのコラボレーションで内装を手掛け、注目を集めました。
1969年には、憧れのイタリア人建築家ジオ・ポンティに直接会い、ドムス誌に作品掲載を依頼。
ポンティから高く評価され、翌年にはドムス誌に作品が掲載されました。
1970年の日本万博博覧会では、「変形の家具」などユニークな収納家具を発表しました。
彼の代表作の一つに、1976年に発表された「硝子の椅子」があります。
この椅子は、ガラス同士の接着が難しい時代に、新しい接着技術(UV硬化型接着剤)を用いて制作されました。
限定40脚で制作され、富山県美術館や大阪の国立国際美術館に所蔵されています。
倉俣史朗のデザインを支えたのは、東京・西麻布にある「三保谷硝子店」の3代目、三保谷友彦でした。
彼は、倉俣史朗を親分と慕い、彼のデザインを実現するために、ガラス加工技術を駆使しました。
倉俣史朗は、「硝子の椅子」以外にも、個性的な家具や空間デザインを数多く手掛け、現代デザイン界に大きな影響を与えました。
なるほど、新しい接着技術の開発が、彼のデザインを形にしたんですね。技術的な裏付けがあることで、デザインの面白さがさらに増しますね。
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25年ぶりの回顧展!倉俣史朗のデザイン展、開幕。代表作からスケッチ、夢日記まで。言葉で語れない想いを形にした、唯一無二のデザイン哲学を体感せよ。